嵐の前の静けさか…
明日、また鬼になります。
片してやろうじゃないか。
(けっこうヘヴィーなものが来ます)
湯ぶねに落ちた猫 筑摩書房 2008年06月
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猫とともに…
彼女にとって、
猫はなにものでもない支えだったのでしょう。
それは必ず来るであろう「相棒との死」の後に
強く感じられましたね。
愛していたからこそ、その反動は
より一層大きくなる。
確かに私もそうだったな…
私の弟的存在だったニャン。
体が弱くてすぐに亡くなった子。
私はそれ故に体に罪を刻んだんですよね。
そう、耳凶器の一部に。
感想
なんか暗い冒頭となってしまいましたね。
もうこの事柄に関しては吹っ切れていて
トラウマでも何でもないですが
ある事情により罪を刻んではいるのですよ…
ある立ち位置にいながら
それに気づけなかった大罪をね。
著者と猫のかかわり方は…
著者にとってこの本の小説部分でも出てくる
一匹の猫は大事な存在だったんだろうな、と思います。
その子の名前は雲といいます。
残念ながら病気で亡くなってしまうんですよね。
その後悔が文章でも強く伝わってきます。
この時代の場合は今よりも猫の医療に関しては
あまり芳しいとは言えない、黎明期だったでしょうから
著者側には罪があるとは言えないのよね。
何かしらの運命というか、流れが
悲しいことに悪いほうに向かってしまっただけ…
だけって言ってしまうにはあまりにも酷な断定の仕方よね。
それでね…猫以外でも著者は正直
あまり環境には恵まれていない感じなのよね。
それはいっちばん多感な時期に受けて不条理も不条理な仕打ちが
すんごく尾を引いているんだと思うんだ。
これ、私もほぼ同じような経験をしたことがあるの。
今じゃ私は結構ものを言う人だけれども、
多感な時期(?)な私はそうではなかったの。
家庭環境上抑圧された(実質虐待)からかな。
自分を意見を言うことがまあ苦手だったんだわ。
そこでいやなやつが声を大に罪をおっかぶせられてな。
誰も助けてはくれなかったよ。
でもそいつは著者にひどいことをしたやつと違って
性格が悪いやつだったので
どこかでぼろは出してたことでしょう。
(いじわるだったからね…)
そう、そもそもこんな経験をさせられなければ
多分著者は活発すぎるほどの人だっただろうね。
(ガキ大将的な子の旨の記述あり)
そして劣等感を手懐けることもなかっただろうね。
誰よりも他人の気持ちがわかるからこそ
彼女は強く出れなくなったのかな。
それは強みなんだけれどもね。
でも人とつながるのが苦手だから
仕方ないのかも…
おわりに
これはあまり調子のよくないときに読むと
引っ張られちゃう本かもしれないね…
悲しみがね、伝わってくるんだよね。
変わりたい、だけれども…という心かな。
所詮ね…という感じ。
もっとこういう人たちが報われればいいのに…