超雑読と趣味と

乱数の女神の子らしく、誇らしくありなさい。

【やがて到達する事柄】椎名誠『ぼくがいま、死について思うこと』

明日は行かなくて済む

フッフーンなんて思っていたら

んなこたぁなかったわよ。

 

 

 

 

椎名誠『ぼくがいま、死について思うこと』

ぼくがいま、死について思うこと
椎名誠

新潮社 2013年04月26日

by ヨメレバ

 

 

 

 

いつかは起きてしまうこと

死…それは誰しもが恐れることだと思います。

心臓が突然活動をやめてしまうのですから

そこから先の出来事をこの「中身」は知ることができません。

 

それを回避できた場合には

その直前に至るまでのいきさつを覚えている人は

いることはいるみたいなんですけれどもね。

だけれども、その日が来るまでそういう経験は

ごめんこうむりたいものですね…

 

諸外国との死の形の違い…

驚くものもあると思いますよ。

 

感想

死は不可避なもの、だからこそ時におそれ

何も行動がとれなくなってしまうこともあります。

 

まあ、そんなことを強く思っていても

しないといけない事柄というのは無情にも

バンバカやってきますのでそうしてはいられないのですが

 

人は年を取ります。

何をあがいたとしても、それは避けられないのです。

だからこそ今の基準にある「寿命」の影が見え隠れしてくると

自然と死を思うようになるのです。

 

著者の周りでも、なかなかの数の人が

本意とはいいがたい形で死の向こう側へと

逝ってしまわれました。

 

ほとんどのケースはがんといった病気の形でしたね。

気が付いた時にはもう…という状態だったのです。

どれだけその時に当人の方は思い悩んだんだろうね…

そう思うと胸が痛くなるものです。

 

周りの人も対応しきれないですしね。

特に近しい人にとってその事実は…だと思うのです。

 

日本ではご存じの通りで火葬がなされ、

墓がある場合にはお墓に入ります。

大体において、そうですね。

まあ私の住んでいる場所は地方色まだ濃いですからね…

(市とは名ばかりの場所もまだまだあります)

 

だけれどもこの死の形も

本来は今のご時世ならば疑問符になるんですよね。

 

だって今は死亡超過ですからね。

それはよほど「パンチのある対策」がとられない限り

進んでいく一方何だと思うのです。

 

だからそうなった場合は核家族とかの場合だと

墓を建立する場合もある訳で…

と、なりますとね…?

土地がいずれ足りなくなるのでは説が浮上するのです。

 

普通にあるけれども

種々の問題が解決しない場合

いろいろな問題を巻き起こしそうに思えるのですよ。

 

そう思うと違和感というか受け入れがたいけれども

魂が消えて実質「モノ」になってしまった在りし日の物も

処分(と言ったら失礼ね)、いや地球に還す工夫は必要だと

思えてくるんですよね。

 

なお、この本はいろいろな国の葬儀の行い方があります。

鳥が葬る手法もありますし「自然に任せっきり」という

葬り方もあります。

 

最後に気になったのは人が亡くなったときの費用ね。

正直私はそんなものをしてもらいたくは一切ないから

集まってももらいたくないのでさっさとこの世から概念を

消していただければなので。

 

集まってもらうのも正直、おこがましい。

 

おわりに

感想文では触れませんでしたが、

著者はまだまだ死には遠く感じるのです。

恐らくそういう謎機関(?)がまだ彼を拒否すると思うな。

大事な存在ですからね。

 

私は死は怖くないです。

いらん存在なのは自覚してるからね。

だからこそ、恥じなく精いっぱい日々を生きて

くたばりたいものですわ。