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【当たり前にされることさえ許されなかったことが】森謙二『墓と葬送の社会史』

また例の活動は明日から。

それができる日々に感謝なのだよ。

 

 

 

 

森謙二『墓と葬送の社会史』

墓と葬送の社会史
森謙二

講談社 1993年06月20日

by ヨメレバ

 

 

 

 

当たり前のことさえ…

タイトルの通りなんですよね。

昔は「火葬すら禁止」という法律が

あったんですから!!

 

え、冗談でしょう!!と思うでしょう。

これが本当のお話なんです。

まあ国で統一しようとした

宗教の問題が絡んでいますが…

 

まあ何かというと宗教は

問題ばっかり起こしてしまいますよね。

ほら、今現在もあの有様でしょう?

心のよりどころになるはずが

争いの種ってねぇ…

 

感想

なかなか歯ごたえのある本でしたね。

難易度はそこそこありますが、

日本ばかりではなく、海外の墓の形式も

紹介されているので読むことに

苦痛は覚えませんでしたね。

 

あと、どうして感染症系統に対する

差別が出てきたのかも理解できる気がします。

これは衛生概念上致し方ないのですが

その当時は、そういった病気(本中ではコレラ)で

亡くなると別個の場所で埋葬が行われたそうです。

 

…と思うと結局さ、

埋葬場所は別個にならないけれども

結局件のあれもさ、人が参列できないという

寒天状やっぱり察しが付くということで…

差別というか蔑視というか嫌な感情を

起こす愚か者は一定数出るのよね…

 

まあその中には

火中に飛び込んだケースもあるかもしれないけどさ、

それがあったとしてもまあ関係者は知っているだろうし

関係者には罪はなかろうよ。

だからこそこういう差別って愚の骨頂だと思うんだよなぁ…

 

そういったある種の差別の根源という

負の歴史の面も知りつつ

お墓の形式には地域で統一して墓に入る場所もあるのですが

なぜそういう理由なのかといえば…無縁になるのを

おそれる土壌があるんですよね。

 

恨まれるんじゃないかという…

まあそういう人ってあんまりいないとは思うんだ。

そうなってしまう人ってだいたい人望がない行動を

取りつづけたりして人とは疎遠になっていると思うの。

 

個人的な理由で(夫婦になる縁に恵まれなかった

もしくは意図的に一人でいた)ならば

恨んだりはしないとは思うけれどもな…

 

決して無縁でないけれども

うちの親戚筋にも生涯独身だった女性が

いたからね…

 

その人は恨まないってば…

 

私が一番いいなと思ったのは

海外にあるどこに自分の骨があるかがわからない墓地ね。

 

私なんかロクな人生を送っていないから

これが相応しいということ。

思い起こしてももらいたくないしな。

 

今は生涯独身の人もいるから

こういう形式はもっとあってもいいと思うな。

無論伝統的な形も大事だけど

その枠に入らない人もいるからね。

 

おわりに

あと興味深かったのは

お墓にかかれる文字のことね。

家じゃないケース、時折見かけるもんね。

 

多分それは著者の言う通りで

お墓=家の縁というのが希薄化しているからだと思います。

それも時代の変化だと思うので私は否定しませんけれども…

 

まあ、死はいつか来るから

その最期に恥じないように生きたいもんだね。