超雑読と趣味と

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【とてつもない世界へのいざない】中沢新一『チベットのモーツァルト』

今日は久しぶりのスペシャルな食事をしてきました。

いつもは食べないメニューを食べたのであります。

ついでに夜もスペシャル。

実に面白かったね。

 

 

 

 

中沢新一『チベットのモーツァルト』

チベットのモーツァルト
中沢新一

せりか書房 1983年11月

by ヨメレバ

 

 

 

 

不思議な世界へと

この手の本は期初の部類に入るかもしれませんね。

著者はチベット仏教の修業を受けていたり

その中で不思議な経験をしたり。

 

ただしメインは宗教がらみの哲学です。

あ、眠くなりました?かゆくなってきました?

その気持ち、よくわかりますよ。

 

感想

実はこの本の序盤にあるキーワードが出てきます。

ある2文字、ということだけお伝えしておきましょう。

 

今現在、これに関連している組織は

異なる形で現存しています。

そしてその2文字と関係するものは

実は先日読んだ本ともかかわりがあったりするのです…

 

団地出身の人がいるとやつ。

実は著者の本、この組織のバイブルとして使われているのです。

ただし、この本が使われたわけではありません。

 

よく読んでいると彼らが使うのもわかるんですよね。

一種の儀式たるものがいわゆる「その先」というものを

見出すことができるからです。

 

それは本来は鍛錬や自己統制という目的なはずなのです。

だけれども、その組織は明らかにそれを特別視しすぎましたね。

やってはいけない解釈をした結果、破滅的行動に出たのだと

私は思っているのです。

 

宗教や哲学は確かに懊悩する心のよりどころにもなりえます。

だけれどもその持ちようを間違えた瞬間、身の破滅に至ります。

 

実際にそれは著者も文中で陥りかけているんですよね。

師がそれを押しとどめているのですが。

 

ちなみにですが著者はその組織の擁護派として有名です。

だけれどもその根拠を明確にできなかったために

どうもたたかれたようですね。

 

まあそれは文章からも少しうかがえますね。

言っては悪いですが「お前らはここまでできないだろう」という

一種の雰囲気をまとわせているので。

 

ただしそんな所でも、フロイトとリンクされた体験談は

興味深いものがありましたね。

ある種の気持ちの問題の代物ですね。

 

むろんすべてそうとは限らないものの

思い込みという呪縛がそうさせている場合もえてしてあるので。

 

おわりに

なんか読んでいて読むサイケデリックトランスかと思いましたよ。

陶酔させる何かをはらませているんですよ。

きっとかれらはそうやって沈んでいったのかもな…

 

嫌いじゃないけど何度も読まないと

ちんけな私の頭には入らんな。