超雑読と趣味と

乱数の女神の子らしく、誇らしくありなさい。

【絶対的な存在にないもの】グレゴリイ・ベンフォード「大いなる天上の河(下)」

明日はおそらく出ることは不可能でしょう。

「見まごうことのない雨の日!!」となりそうなので。

 

 

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グレゴリイ・ベンフォード「大いなる天上の河(下)」

大いなる天上の河(下)
グレゴリイ・ベンフォード

早川書房 1989年01月01日

by ヨメレバ

 

 

 

 

 絶対的存在がついに…

圧倒的に人間側が不利を強いられるシリーズ。

負傷をしてしまったキリーンたちを救うために

いざなわれるがままに移動をしていく一行。

 

しかしそこには…

 

感想

上巻までは「記憶がねえ」と思っていましたけど

下巻でなんとなく雰囲気を覚えていましたね。

実はアスペクトや絶対的存在であるマンティスが

会話する太字部分に見覚えのある部分があったのです。

 

それと一部描写に既視感を覚えましてね。

なのであ、確かに読んだんだなと感じました。

 

ついにキリーンたちは絶対的存在である

マンティスにいざなわれることとなります。

ここで彼らが見たものはまるで本物と見まごうような

かつてともに苦楽を共にしたものの「存在」だったのです。

 

だけれども、確かにそれは精巧に作られているものでは

ありましたが「何か」が決定的にかけているんですよ。

それがゆえにキリーンやシボは違和感を覚えるのです。

 

そして、その間に重要な存在であった人間が

このマンティスとの邂逅の際に命を落とすことになります。

確かに彼の行動は向こう見ずな行動そのものだったけれども

その行動は人間と機械的存在の間にある

決定的に違うというラインをより一層はっきりさせたものとなりました。

 

そして、もう一つ機械には抱くことはなかろう

要素が出てきて、それをマンティスは解すことはできませんでした。

(一応ほかの作家の作品では機械がそれを抱くであろう描写はあります)

 

それがゆえに彼らを掌握しようとする行動が

結局は取ることができなかったわけなのです。

それでも絶対王者はやはり人間を下等なものとして

見てはいましたけどね。

 

そして、この作品の最後には前の作品の追補部分が出てきます。

こうして比較して読んでみますと世界観が違うな、というのは

理解できるかと思います。

 

だけれども共通しているのは

「機械というものが脅威となっている世界」ということです。

まだまだこっちの世界にそれは明確に起きてはいませんが

その便利な存在の扱いを間違ったとき

そうなる可能性はないとは言い切れないと思います。

 

 おわりに

あとがきでは四部作ですが実際はシリーズは6作となっています。

あんるぇ、なんか増えていませんでしょうかねぇ。

次もどうも舞台が違うそうな。

まあ、読み進めるに限りますが。