超雑読と趣味と

乱数の女神の子らしく、誇らしくありなさい。

【不運の人だったのでしょう】高橋英夫『ブルーノ・タウト』

明日は一応最後の遠征でしょうね。

火曜日は行く可能性も無きにしも非ずですが

ない可能性のほうが高いです。

 

 

 

 

高橋英夫『ブルーノ・タウト』

ブルーノ・タウト
高橋英夫

講談社 1995年12月

by ヨメレバ

 

 

 

 

彼が見つめた3年半

ナチスに目をつけられたがゆえに

亡命せざるを得なかったのがタイトルの彼でした。

 

パトロンたちの力によって

様々な場所へとさすらった3年半。

 

そんな中で彼が持ち込んだ言葉がありました。

「キッチュ」という言葉です。

ただし、この言葉には悲しきかな、

否定的意味合いを含んでいるのです。

 

感想

またもや残念な前書きを書かなければなりません。

本当にっ…よくわからないものでした。

もう語彙力もなんも私のへっぽこな頭では

残念ながら感想を書きえないのよ。

 

もうね、某所に書いていた簡潔すぎて

拍手喝采した感想文の通り

こういいたいんだよね…

 

「桂離宮を絶賛していた」

ええ、本当この感想で終わらせたいぐらいです。

もう終わらせていいよね?

(おいこら待てふざけるな)

 

…そんなことはしないつもりでいますが

文字数に関してはおそらく短くなりますので

あしからずご了承ください。

 

彼そのものの先行きが不安定なのも

それに拍車をかけたのかもしれませんね。

見方が不安定という論もあるのです。

 

これは大いにあるだろうなと思います。

だって彼一応建築家よ?

だけれども日本で彼がやった建築関係の仕事

1件…いや、この1件もね、完全監修ではないから

カウントしていいのかもあやしいところなんだ。

 

だからきっと、フラストレーションはあったんだと思う。

もしも彼が日本でのキャリアが満ち足りていたならば

こういう見方はなかっただろうし

ましてやこのような本も出版されることはなかったでしょう。

 

だけれども彼は「キッチュ」という言葉を

持ってきた男でもあり、

日本人ではなくてもその建物の意を深く知ることが

できるということを示してくれました。

 

彼の物事を見る目は異例ともいえるでしょう。

だからこそ生きているのは苦痛だったように思えるのですよ。

それ故に輝けるもののないこの時期は

辛かったことでしょうね。

 

しかも不幸なことに彼は

日本の後に行ったトルコで

過労のために亡くなることになるのです。

遅れというか挽回しようとしたのがアダになったとしか…

 

おわりに

きっとこういう運命の人だったんだろうな。

少しだけですが最後の方に彼の作品が出てきます。

鉄という建築素材を見事に表現した建築物でしたね。

…ベターな感想だな。

 

哲学が混じるとまあまあ

一気にわかりづらくなるというね。

混ぜないでくれ。