超雑読と趣味と

乱数の女神の子らしく、誇らしくありなさい。

【その表現は限られたもの】『村木道彦歌集』

明日は結構動く。

でもやらなきゃ。

先を伸ばしても事柄は「あり続ける」のですから。

 

 

 

 

 

 

 

何たる生々しさよ

輝きは時に、生々しさとして

突き刺さってくる…

 

何たるこの輝きよ

そしてその性に対するひたむきさよ。

 

これに対する誉め言葉を

私は知らないんだよな…

 

感想

私は残念ながら歌集に対する知識は

大変に疎いためにこの素晴らしき才能を

よいものに消化できるほどの表現力は

持ち合わせてはいません。

 

だけれども、時に表現としては

ある種の時期にしか作ることのできない

「創作」というものがあるように思えるのです。

 

その経験、その時期が糧となって

芸術として成立する…

 

そのタイミングがずれてしまえば

もうそういうものはかけない…

 

現実に彼は1冊だけ歌集を残し

それからはこの歌の舞台からは

姿を消してしまったようなのです。

 

恐らく宿った芸術の何らかが

期限付きでしか輝きを許してはくれなかったのだと

私は信じているのですが…

 

まあ感想文書くにしてもさ

私はロクなところを見ないのは仕様でございまして…

死の部分も印象的だけれども

その多感な時期(?)特有のえっ、な歌に興味津々でした。

 

だって自己活動そのものを歌った歌があるんだもの

ばっちりぼかしてないものも存在しますからね。

これを正直に表現できるのって期限付きよ。

 

これより後の時期にやったら

正直●態といわれかねないわけですからね。←お前が言うな

この時期だからこそ許される特権でしょう。

 

そんななかなかあけっぴろげなことを

やっているけれども

実は恋愛に対してはかなり不得手なようで

なかなか投げやりになった歌もあります。

 

自分から捨ててやったんだ的な歌ね

この負け惜しみの感覚、若いっていいよな。

 

そしてフラれたからある食べ物を禁止する歌!!

何じゃそれっ!!と思うはずですよ。

だけれども気持ちはわからないでもないよ。

 

だってそれ食べちゃうといい思い出もそうだけど

フラれたことを否が応でも思い出しちゃうだろうし。

だとしたらそうするわよな。

 

後半の方ではこの方の評論と

他の方から見た彼の評論があります。

 

うん、やっぱり性にオープンな歌が

刺さるって言っている人もいるよねぇ…

 

おわりに

不得手な何者かが、不得手なりに

必死ぶっこいてみました。

なんかこっぱずかしくなる歌もあるのよね。

 

だけれども時世をとらえている歌もあったり。

才能はあったけれどもね。

やっぱり時期限定だったんだと思う。

悲しいけどね。