超雑読と趣味と

乱数の女神の子らしく、誇らしくありなさい。

【哲学は人の世界そのもの】丸山圭三郎『言葉のエロティシズム』

 

ちゃんと後日ある遠征修行で機敏な身のこなしをしたいので

節制、トレーニング、しっかり頑張ります。

 

 

 

 

言葉のエロティシズム
丸山圭三郎

紀伊國屋書店 1986年11月

by ヨメレバ

 

 

 

 

人という概念

人は、人であるがゆえに、人としてあるものを鑑み、

そして懊悩する…

それを解決するための糸こそ、哲学…

なのかもしれませんね。

 

だけれどもね、私はどうもこいつとは偉い相性が悪いようなんだ

まあこのブログ、感想という名の語りでしかないのはわかってる

重々理解しているんだ。

 

今回も例にもれず、理解できん部分が多くてな

まあ、興味深かった点を触れることで許してください。

 

感想

そんなわけで…みんな大好き(?)哲学の時間となりました。

ただしこの本は対談集という形となっておりまして

4人の方との対話の形で進んでいきます。

 

もうね、感じたことは魔法使いじゃないのかい?とね。

人ってさ、当たり前に人として生きてしまっているから

もうそんな細かいことなんか見てないわけさ。

 

だけれどもこの学問の人たちはその人間そのものを

まあまあ重箱の隅をつつくように見ようとするんだわ。

だけれども無論、人の数は世界規模で見りゃ多いわけです。

哲学にかかわる人だってたくさんいると思われます(?)

 

なので提唱する論もいっぱいあるわけですし

中にはなかなか破壊的な論も出てきたりします。

(詩人はいらねぇ的なやつ、真意があると思うけどね?)

 

それに関しては触れませんよ?私の際したことのないオツムには

そんなの説明なんて宇宙からなんぼ離れても無理なお話です。

 

エロティシズムとは離れますが、この本に数か所出てくるもので

興味深いところがありました。

「アンチ」という言葉です。

 

ん?と思いますでしょ。

そう、いろいろ暴走するあいつら、とみても差し支えないです。

その捉え方が面白いということです。

 

簡単に言ってしまうと嫌いならば「触れるな」ということを

確実にしてしまっている捉え方です。

つまりそれに発言してしまっている時点で

もうその対象に取り込まれてしまっているということ。

 

まあよく言われる嫉妬でと同じわけ。

なので養分もあながち間違っちゃいないわけですよ。

上記のとおりね。

 

うん、わからないので今回はタイトルのそれに触れんことにします。

 

おわりに

今回はわからないことを正直に感想にかきました。

また成長して、再読したころにはよい文が書けるでしょうか?

それは難しいことでしょうね。

 

あ、あとあるセクトに影響を及ぼした人、対談に出ています。

これはわかりやすいほうかも。

 

おわり