超雑読と趣味と

乱数の女神の子らしく、誇らしくありなさい。

【人は懊悩する、だから哲学はあるのか…】スピノザ『知性改善論』

明日は少しの買い出しにとどまるかもかも。

 

 

 

 

スピノザ『知性改善論』

知性改善論改訳
スピノザ

岩波書店 2003年11月

by ヨメレバ

 

 

 

 

人は究極を渇望する

人は悩む、そして完全なるものを欲する。

だけれどもそれは人であるがゆえに阻害される。

そして悩む、悩みぬく。

そこに、哲学はある。

 

さあ、私のもだえる姿、ご覧あれ。

 

感想

数学とともに私が不得手とするもの、哲学のお時間です(笑)

ただし、この作品は割と救いなのは

序盤からあの煩わしいワードが出てくることはないということです。

なぜに人は哲学というものにおぼれ行くのか…

その片鱗を見ることができる気がします。

 

内容に関しては私なんかよりももっと詳しくかみ砕ける

エキスパートの方がいるのでその方々にお任せしましょう。

「知」ということに重きを置かれているのがこの作品です。

 

ただし、もちろん哲学ですのでその知は我々が思うような

知のワードでは言いくるめられないことは注意するべきところでしょう。

私は哲学は不得手なのでそれがどういうことなのかを

私の脳内のありとあらゆるものを使っても表現できないことは

実に残念なものです。

 

ただし、今のご時世だからこそ使える部分はあるような気がするのです。

このご時世だからこそ、わざと間違ったことをさも当然のように

事実のように伝える人間というものもいるのです。

 

どうすればそういう虚な代物に迎えるかのヒントが

そこにあるように思えました。

ただしその答えに関しては正直、虚におぼれる人にとっては

酷な代物のように感じましたがね。

 

この本は「哲学」です。

もちろん注釈も素敵な表現となっており

この界隈にとっつけない人たちをさらに拒絶反応を起こす

素晴らしい解説付きです。

 

まあそういうものだと割り切るという技術を

私は身に着けましたので

何度も何度も咀嚼するなり

他のものに触れるしか方法はないように思えます。

 

人って複雑な生きもんだ。

 

おわりに

感想にならねぇな、やっぱり。

この懊悩の世界を理解できたら面白いだろうね。

ところどころに出てくる言葉は時に

人を奮い立たせるものがあるからな。

 

でも、やっぱり私は修行が足りないな。

生きているうちにそのしっぽ、つかめるかねぇ?

 

おわり