ここ数日は予定が少々混んでいるような感じですね。
明日はある日ですがちょうど片づけたい用事があったので
ラッキーでありました。
漱石のレシピ 講談社 2003年02月
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胃が弱かった彼の「食」
彼の作品は文体が文体故に読みづらさを覚えます。
実際にこの作品にもその文章は出てきますが
引用の時点でお腹一杯
私回れ右になってしまいます。
だけれども、別の側面で見てみる…
となると興味がわきますよね。
そんな願いをかなえてくれるのがこの本です。
物語中の人物は何を食べていたのかな…?
感想
こういうのを読むと、以下に現代が食事情に関しては
恵まれているかと強く感じます。
それがとても感じられる部分は
この本の副題にある駅弁の部分です。
この部分で取り上げられるのは
三四郎が旅路で「駅弁」を食べる場面があるのです。
彼が買った弁当はどこの駅のもの?という
推理がなされているのです。
その推理の途中で文献を読み解きつつ
各地の駅弁の紹介が挟まれるのですが
今の駅弁では絶対に見受けられない解説があるのです。
それは、「悪臭」
…なんだって?
食べ物からしてはいけないものです。
まあそれは漱石の生きていた時代にはまだまだ衛生状況に
関しては決してよろしいものとは言えませんでした。
保存に関してもまだ途上、といえましょう。
なので食べられる機嫌ももっと短かったはず。
それは何を食べたかを推測するのが
容易だったようですが…
それと印象深かったのは
いわゆる抗夫たちの食事。
彼らの食事の中にも
今でこそきちんと調理法が確立されて
おいしく食べることができますが
その当時はそうでないものだったものがあります。
いわゆる長粒米(インディカ米ですね)です。
そういう場所の飯事情はすべて「カネ」が左右します。
つまりやり手の男でない限りは日本のお米は食べられなかったのです。
当時はそんなおいしい食べ方なんぞは知られていません。
しかも付け合わせも、なのでさぞかし
「おいしくない」代物だったのではないでしょうか。
これらを読んでいると
今ってすごいんだな…
おわりに
ここでは詳しく触れませんでしたが
この本中にはあるCMにもなっている国民的炭酸飲料の
始まりが出てきます。
その当時からあのロゴは健在だったりします。
ただし、当時とはちょっと物は違いますがね。
(むろん製造会社も違います)
それと漱石の食に関しても出てきます。
やっぱりは思い出とかは
食にリンクするものなんですね…
それと脂っこいの食べ過ぎないようにしよ…
おわり