超雑読と趣味と

乱数の女神の子らしく、誇らしくありなさい。

【一人の自分も、誰かに接する自分も、自分。】平野啓一郎「私とは何か」

今日はコンディション的にダメかと思ったら

何とか有酸素入れられました。

明日もおそらく、有酸素は確定でしょう。

やっぱり締めるにはちゃんとやらないとダメね…

(バルクは上がったけどなんか締まりないのよ)

 

 

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平野啓一郎「私とは何か」

私とは何か
平野 啓一郎

講談社 2012年09月14日

by ヨメレバ

 

 

 

 

本当の自分とは…?

誰しもが思い悩む事柄ではないでしょうか。

そして、人と接するときに感じがちなこと

「これは本当の自分じゃない」

そして懊悩して苦しくなってくる…

 

私ももちろん、陥りましたよ。

もっとも私の場合はもっとセンシティブな問題があり

それにはっきりと気付いたのはかなり最近のお話です。

(まあ明確に気づいたのは超短髪にしてから)

 

その悩み、もしかしたら

少しは楽になるかもよ…

 

感想

とても読みやすい本でしたね。

なんだろう、スッ…くるような感じの本です。

新書にありがちなきつい口調でもなく

さりげなくそこにいるような感じ。

 

この自分という厄介な代物。

自分というものが1つだけ!!なんというくくりでいるのが

そもそも間違いなのかもしれませんね。

 

だって、人と必ず接するときに

自分の身内だったり、友人だったり

パートナーだったり…

その人たちと接するとき、なんとなく変わりません?

口調もそうだし、どれぐらいまでかかわるかとかさ。

 

時にそんなやり取りの中で「自分じゃない」と感じることもあるでしょう。

でもさ、それが「その人と関わる時の自分」と思えば

その時用だ、と思えません?

 

そして一人になったときは誰にも見られない自分。

これが本当の自分かもしれませんが

この人と接するときの自分だって立派な自分です。

 

人の数だけ、それぞれの自分があるわけです。

 

この中には、いわゆる変身願望の自分もあります。

まあフィクションだとあの巨大蜘蛛のあれが出てきます。

あれの場合は負の変身願望ですね。

結局は最後は…な。

 

負の分人も触れています。

「自分だけしゃべる」「八方美人」

いわゆる分人が全くできない人ですね。

ええ、いますよ、身近に。

本当に嫌われます。孤独一直線コースですね。

 

それと、ある行為に関しても触れられていました。

まあ、過去に私もありました。

自己像の否定…確かにですね。

まあその時代は自分の立ち位置に悩みました。

(これが異常だと認識しており、だれにも話せなかった)

なので痛いとこついてくるなと思いましたね。

 

それと、多様性に関してが出てきます。

二人のジャズアーティストを例に出して。

多岐に枝を伸ばすタイプの多様性と、

その分野を保存し、認識させるタイプ。

 

どちらも大事ですよね。

違うタイプだけれどもね。

ちなみに前者の多様性の人は、有名です。

垣根を越えて活躍しているのも、知っていました。

 

そう、人は一つで構成されていないということ。

 

おわりに

悩ましい問題なものです。

文化の土壌もあるのでしょうかね…

でも、様々な面があって、全部が自分であるということ。

(まあ中の人もアレなやつです、でもそれも自分。)

 

そういう自分があってもいいんだ。

自分が複数あってもいいんだ。

だって、生き抜くのに使い分けは大事じゃん?