今日はようやく有酸素免除となります。
ただし…あさってからまただよ。
ただしあさっては場合によっては半分免除です。
踊ろう、マヤ 講談社 1990年11月01日
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まさに、毒
読んでいて正直、不愉快なイメージしかありませんでした。
理由は後述することにしますが
いわゆる現代で問題になっているある要素が
この作品の端々に表出しているからです。
それと、私自身がその要素の犠牲になっています。
ただし、この作品の持つ毒とは違ったやつです。
でも、経験としては同じなので嫌悪しかなかったです。
感想
いわゆるこの作品は「毒親」(主人公たち)なんですよね。
この表題に出てくるマヤ、というのは彼らの娘なのですが
不慮の事故(交通事故)により6歳でその生涯を終えてしまいます。
そして彼らは国際結婚だったのです。
夫はイギリスのミュージシャンでこれまた歪んでいるですよね。
主人公に負けず劣らず。
なぜこの作品を毒親、と断定したか。
結局のところデリカシーも何もないし、本能のまま動いていて
正直言えばマヤ以下の子供なんですよ。
子どもが子供を産んでしまう、という毒親の典型例。
そして、主人公の義母に当たるイングリッドという人がいるんですが
まあいわゆる留のテンプレ的な人です。
確かに彼女も彼女で悪いところはあります。
でも…
これは主人公にも非があるんですよね。
家族を形成する、ということは確かに貫き通さないといけないことも
あるのだけれども、妥協する、ということも必要な時が
訪れてしまうんですよ。
でも彼女とF(夫)はそれをしたとは思えないんですよね。
それは飼っていた猫たちの飼育の仕方からもわかること。
そこに相手を図るという意図がないんですよ。
うん、確かに彼らの生き方はあこがれるよ。
でもその割を食ったのはマヤなんだよね。
もう亡くなった存在だからマヤは過去の形として語られるけど
確かに粗暴なところもあったりした。
でも、それは明らかに育つ場所でないというメッセージだったんだろうな。
彼らは残念だけれども、それに気づけなかった。
そして取り返しのないところまで来てしまったわけ。
結末前にちょっとだけ不思議なことが起きます。
おそらくそれも、マヤが精いっぱい行ったことだったんだと思う。
でも、私は夫婦が出した結論が正しいとは、思えないんですよね。
何もあんたらはわかってないんだよ。
おわりに
本当に胸糞な作品でしたわ。
そういう意味では大成功な作品だとは思います。
アプローチの仕方は舌を巻くものがありますし。
世の中にはこの夫婦のように「親になる資質不足」という人たちは
いくらでもいると思います。
私はそうだと思うので、作りません。
追いつめられたらテレビに載ってしまうことをしでかすかもわからないですし。
当事者の人は読むのは避けた方が賢明。