今日は雨なのです。
なので、有酸素の予定は時間まで待っても回復の見込みはないので
中止。明日はがちがちの予定があるのでそもそも無理です。
人はなぜボケるのか 新潮社 1994年05月20日
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長生きできることによる、新たなるリスク
医療技術は衛生状態が改善されたことにより
人々はより長く、生きることが可能になってきました。
だけれども、その長くいきられるがために出てきた
新たな病気もあります。
それがこの本でも出てくる「認知症」の問題です。
幸いにも私の周りではそのような方はいませんでしたが
それに出くわしてしまった家族の苦悩は大きいと聞きます。
感想
注意:この本は刊行年が古いため病名表記が旧表現(痴呆症)が見受けられます。
そこの点はご留意ください。
注意喚起の通りです。表記が旧表現となっています。
なので一部情報に関しては古いものとなっており
特に後半部分はもはや制度が根本から変わってきているので
あまり役に立つ部分は少ないでしょう。
しかしながら考えさせられる部分はありました。
冒頭に出てくる認知症(この感想ではこの表記をします)が進行してしまい
自我すら保てなくなってしまった妻との離婚を求める裁判があります。
裁判の概要ももちろん表記されています。
今はおそらく、これらの制度はある程度見直されているはずです。
一応離婚を求めた夫の方は離婚が認められたのち、再婚しています。
こう書くと裏があるように思うでしょう。これはノーです。
彼女がだんだんと自分というものをなくしていっても夫は何とか工夫をして
介護をしていたのですから。
だけれども、もはや相手の妻は、夫すら認識できなくなってしまったのです。
人によってはそれでも…と思う人がいるのもまた事実でしょう。
でも、その選択肢を選べない人だっています。
一部の最悪な事態を除き(その間に不貞とか)その場合は責められるいわれは
ないでしょう。
まあすごく嫌な言い方をすれば「相手に尽くすべき」とは言えない事例です。
毒親とかとは全く違うけれどもね。
それで第一お互い壊れたら元も子もないでしょ?
そして第三者があーだこーだ言う権限もないでしょうし。
これが考えさせられましたね。
それとこれももう古いから現状は違うだろうけれども
終の住処と認知症の問題。
おそらくこれも変わっていてある程度は住処内で対応はできると思います。
たしか特化型のそれも今はあるかと。
だけれども、彼らは本当に酷ないい方をすればもはや「人であってそうではない」
のかもしれませんね。
従来の概念が通用しないし、それを強制すらできない。
ならば対策方法をある程度講じるしかないし
なるようにしかならないというのも事実かもしれません。
いまだにこの認知症はメカニズムは解明しても
完全に治す方法は樹立できていません。
いつかは達成すると思うのです。
でもそれができない今、できるだけ支援の選択肢を多くすることと
関わる人たちの負担を減らすことしかできないのです。
歯がゆいですけどね。
おわりに
これは他人事だと思いたい人も多いことでしょう。
実際に思いたいけど、いつなるかはわからないのです。
それをよきもできないから、恐ろしいものが…
私もこの病気に関しては思うことがあります。
でも明かさないでおきましょう。
きっと、お前には心がないといわれるでしょうからね。