明日も無事に有酸素。
そうだ、水筒をきちんとすすいでこよう。
BCAA水、明日も必要よ。
変わる方言動く標準語 筑摩書房 2007年02月05日
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方言がよいと思われない時期もあった…
今でこそある種の番組でその地方地方の表現が
面白く紹介されることもあるのですが、それは今の時代だからこそ。
昔は「標準語」をどこの地方の人たちもしゃべることが当たり前とされ
それができないということは見下しの対象とされ
よくこれは芸能人の今までを振り返る番組で出てきていましたが
ある種の年代の人は標準語が使えないだけでいじめられたと聞きます。
本当ありえないお話ですよね。
地方の人たちの人権は何だよ、という話になってきます。
まあ、これらの部分は後述ということで。
感想
この本はもともとは後述での記録がなされていたものを
文章か、なおかつ加筆されたことによって出版されたものです。
実はこれらの対象は外国の方向けだということに驚きました。
そして、この本を書き上げるのには結構著者の方は多大なるエネルギーを注いでおり
そのために海外にまで赴いたのだから驚きです。
そして「なぜ?」と思ったらとにかくフットワークが軽いこと。
それゆえにここまでのことができたのだろうな、と思いました。
内容は専門的な部分も絡むので難しい部分がありましたが
やはり、関東と関西の区分ではその標準語の使用率にも
差異があるということ。
これは歴史の観点からすれば明らかですよね。
京の都があったわけですし。
その中で京の時代の時の言葉に関して出てきていたのですが
唄の中にも結構えげつない表現ってあって
私たちの住む地域はどえらいぐらいに軽蔑の目で見られていたことが
歌の訳を見ると明らかになってきています。
そう思うと人という生き物は何かしらマウンティングということをせねば
気が済まない生き物だということが理解できることでしょう。
もっとも該当する地域の方々はたとい京の者たちにさげすまれても
一向に気にもしなかったようですよ。
そりゃあそうだよね…
あとは言葉が理的な要素を行ったせいで
ある程度の年代より上の人たちのアクセントは
私たちの世代とは差異があるということ。
「ティー」とか「ディー」の発音が違うことも
その一つですよね。
確かに私が学生時代の時にある教師の方が
該当の発音をしていました。
同級生はそれをおかしがっていましたけどね。
それも、年代差というものなのでしょう。
あとは言葉の使われ方ですね。
その地域のローカルな言い回し、というのもありますね。
片足で跳ぶのをなんていうかというもの。
ただしこの本のデータは新しいのですが
うちの地域ではその言葉は使ったことも、きいたこともないです。
どちらかといえばうちの隣県の用法がよく使うやつでした。
多分これは聞いた世代の仕業かもしれませんね。
なので文中に出てくる言葉の変化の年速1キロ(今はおそらくもっと早い)は
間違いではないように感じました。
おわりに
昔は標準語に直せ、という教育が行われていたことに
ただただ驚きでした。
われわれ日本人は画一化を好む、といいますがその負の歴史が
今、いろいろな面で足を引きずっているような気がします。
時にそれは必要かもしれません。
でもそれが負の側面ばかりだとしたら?何とも言えませんよね。
負の歴史部分を読んでいてすごくつらいものがありました。
今こうしてたとえ方言を出しても何も言われないのは
幸せなのかもしれませんね。