超雑読と趣味と

乱数の女神の子らしく、誇らしくありなさい。

倉橋燿子「パセリ伝説 memory7」

今日は行くはずの予定が、ちょっと時間が狂ったため

別件の予定だけを済ませてきました。そんな日もあるって。

それでいちいち目くじら立てて怒ったって、そんな日でしかないもん。

 

 

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倉橋燿子「パセリ伝説 memory7」

パセリ伝説 memory7
倉橋燿子

講談社 2008年08月09日 

by ヨメレバ

 

 

 

 大人になってから読む児童文学

恥ずかしながら、子供のころも、いわゆるYA世代の時も

ほとんど小説を読まない、活字とは無縁の学生生活を送ってきました。

嘘だろ!!と思われるのですがこれは本当のお話です、ええ。

 

正直に懺悔しますと朝読書の時間に同じ本を何度も読んでいました。(ラノベ)

つまりそれぐらい、読書は好きではなかったわけです。でも時がたつのは不思議なものですねー!!

 

この作品ほど、子供時代に読むのと大人に読むと

印象が変わってくる作品もなかなかないと思うのですよ。

 

それを踏まえて、感想をぼちぼちと。

私が著者の作品を知ったのはこのシリーズではないんですよね。

やはりこの作品のように割と巻数が多い別の作品で著者を知りました。

読む機会があれば、いいと思うんですが、いつやってくることでしょうね。

(中の人の読書スタイルというのは風任せなので何が来るのか本当に当人もわからんのです)

 

このシリーズは二人の同じような少女の戦いなのでありますが

双方の目的は違うのです。侵略する側とされる側なわけでして。

もちろん、パセリはその侵略から世界を守る役割を与えられております。

 

ですが悪というのは本当はびこってしまってしまうと手が付けられません。

特に相手が弱みを握って大いなる力を使えた場合はなおさら、のことです。

ミモザがミラクル・オーの力を握ってしまうと途端に情勢は悪化の一途を

たどってしまうことになるのです。「正しくないものに使われると…」のくだりが

まさに的中した形になりましたね。

 

だけれども、悪というのは確かにはびこると手が付けられないものですが

その悪に染まるのをよしとしないものが一人でもいる限り

その悪は完全に勝つことはできないのです。

例えば悪しき慣習を変えるプロセスもそうではないでしょうか。

 

みんなそれに迎合してしまえばあっという間に悪は全部を掌握してしまうでしょう。

だけれども、それを「よしとしない」のならば確かに大多数の悪の中にも

わずかに残った「よきもの」に耳を傾ける人はいるでしょう。

諦めないでいる限り、悪は完全掌握は無理なのです。

 

パセリは仲間たちを人質に取られたり、悪い方向に使われた

ミラクル・オーの力でさえも自らの揺るぎのない純粋な心で

打開することができたわけなのです。

 

仲間を信じるということ、そして諦めないということ。

今回はその途中に、最も愛していたものとの別離という

なかなかキッツい事柄も出てきます。

 

おそらくそれはしばらくは彼女の心を惑わすものになりそうです。

だけれどもそうしている暇はないほどに事態はかなりまずくなっているのです。

 

そう思うと…

つくづくこういう考えさせられる児童文学を読むたびに

私は子供たちにいい影響を与えられる存在になっているのか?と感じるんですよね。

 

確かに彼らはまだまだ成長途上の子たちです。

だけれども言葉にうまく表現できなくても、目の前で目にすることは

鋭く理解しているんですよね。

 

もしも良く無いふるまいを見て、それをよい、と思われていたら…

と思うとうかつなふるまいってできないですよね。

 

ここで出てくるフラム国は大人の作った「悪の権化」なのかもしれません。

人を平気で裏切り、信頼する心さえも奪ってしまう殺伐な国…

心さえも休まりませんよね。

そう思うと序盤に出てくるミモザの嫉妬心は的を射ているように思うのです。

 

おわりに

読んでいくたびに胸が締め付けられるような痛苦しい作品でした。

でも彼女たちの争いって、現実世界でも形を変えつつあることなんですよね。

どうして人は手を取り合うことができないのでしょうね。

悲しいことです。

 

おわり。