超雑読と趣味と

乱数の女神の子らしく、誇らしくありなさい。

淡島寒月「梵雲庵雑話」

明日から試験運行と自転車の慣れを兼ねて

臨時巡回場所に行きます。

ま、通院の帰り寄ることになるし。

 

 

 

 

淡島寒月「梵雲庵雑話」

梵雲庵雑話
淡島寒月

平凡社 1999年08月 

by ヨメレバ

 

 

【感想】

旧表現で出てくる作品は

正直あまり得意ではありません。

残念ながら私にはこれらを読みこなすだけのスキルは

まだ持ち合わせていない模様です。

 

 

ですが…この本には収集家魂というか

奇人っぷりがその文章からも伝わってきます。

まあ、著者の父親も奇人でした。(いい意味のですよ)

なのでその息子である著者ももちろんのこと、奇人です。

 

 

彼の収集はまあ大胆なんですよね。

本を収集する単位がまず大きいんですよ。

百冊単位とかね。

何だろう、他の追随を許さない感じですよね。

 

 

ちなみに、彼を有名たらしめる要因は

彼が井原西鶴を見出した一人であるということです。

元祖ですよ、元祖。

おそらくほかの人がその第一人者としては

出てくるのですが、その人たちですら著者を

参考にしているのですから。

 

 

読んでいて面白いな、と思えたのは

子どものいたずらに関してですね。

これを読んでふと思ったのは

どうして子どもはいたずらなんぞする?ということ。

 

 

どうやらいたずらをすることがストレスの発散方法の一である

という考え方のようです。

子どもは傍目からすれば自由に映ることでしょうが

やはり保護が必要な観点からいろいろ制限されていたりすることも

ままありますからね…

 

 

で、もちろん著者もいたずらというか

ちょっと悪いことをする努力は怠らなかったようです。

家で禁止されている遊びを外でするためにその道具を隠したり。

 

 

竹馬も禁止だったから竹馬を持っているこの力を

借りて乗りこなしていたずらしたり…

で、その結果、負傷(笑)

この時代の子だったらありがちなことですね。

 

 

そんな奇人コレクターだった著者なのですが

あの災害によって彼の住む梵雲庵は火災の憂き目を見

コレクションは消失してしまいます。

きっとそれもあるのでしょうね、彼が執着しないというのは。

でも、そうは明言していても、関係者の証言からも

やっぱりいたたまれなかったんじゃないかな、とは感じています。

 

 

旧表現はやっぱり苦手でありますぞ。

見栄えはいいんだけどな。